このようなtweetをし、反響をもらいました。
教師がもっと魅力的で、優しい職業であれば良いのですが、現状は辛いことが多くある状況です。この「教師が辛い状況」を変えたいと僕も行動していますが、今はまだ「個人で対処」しなければならない実情があります。
実は僕も、辛い日々を過ごしてきました。自分の学級経営の「不甲斐なさ」に打ちのめされて、立ち直ってきた過去があります。
教師が辛くなる原因は「人間関係」だと思います。社会的に教師に対する「期待値」が高くなりすぎています。全知全能ではないのに、あれもかれも「できて当たり前」という風潮があります。子どもから見放され、保護者からも見放され…なんてことになったら悲惨そのものです。
とても他人事とは思えず、僕が歩んできた道を轍として残しておくことで、苦しんでいる誰かのお役に立てば嬉しいと思い、この記事を書きます。
この記事の他にも、教師の辛さに関する記事を書いていますので興味のある方はお進みください。
他の人の「体験談」を読むことで、気分が変わり頑張ろうと思えることがあります。黙されたと思って気分転換に読んでみてください。
まだ大丈夫だよという人は、その余力があるうちに読んでみてください。辛くなってからでは読めなくなるので、元気があるうちにが大事です。
[体験談]子ども達が自分に懐いていないのが分かる苦しみ
ある年の1学期から、僕の学級経営は正直うまくいっていませんでした。
漠然とうまくいっていない実感はあるのですが、何がいけないか分からないまま夏休みを過ごしていたんです。
始業式が始まってすぐ、あまりにも無気力で挙手が少ないものだからついつい叱ってしまった。全体に向けての指導です。
子どもの姿は教師の生き写しだと思っているため、自分が悪いことは感じていたのですが我慢できませんでした。
その放課後ズドーンと落ちる所までメンタルが沈んでいました。その時にしたツイートではたくさんの人に励ましをもらいました。
この頃の僕は、学級の子ども達との繋がりを感じられずにいました。
孤立無援って感じになっちゃっていたんだね…
教室にいても近寄ってくる子ども達はいないし、授業中も必要最低限の発言しかしないし…という感じで負のスパイラルを繰り返していましたね。
体育館に集まって、構成的グループエンカウンターを取り入れたりしながら、何とか子ども達が心を開いてくれるように頑張っていたのですが効果はなし。
ジャブを打っても打っても暖簾に腕押し状態。青菜に塩。気力は低下する一方でした。
あの頃の報われない感は辛かった…
子どもとの信頼関係が作れず無色透明の日々になる原因
こうなってしまった原因を自分なりに分析しました。
①教師に向けられる期待に応えられない
保護者も子どもも「教師ならこのぐらいやってくれるはずだ」という期待値を持っています。これは悪いことではなく、私たちは家族にも抱く期待ですよね。
教師が疲れていようが精神的に参っていようが、当の本人以外には全く分かりません。振り返ってみれば当時の僕は異動したばかりでマイナスな要素を抱えていました。
このような状態で、子どもや保護者からの期待値を満たせる訳がありませんでした。
他人事だとおかしいの分かるけど、自分の立場になると急に周りが見えなくなるんだよな~…
当時を振り返り、僕に必要だったのはコミュニケーションを取りまくることです。
余裕がない状況なら余裕のなさを言葉にして伝えたり、疲れていることを伝えるなど、本当の自分を明らかにしていく必要がありました。
②子どもの理解度が低く、教師の理想に合わせている
当時の僕は「高学年ならこうするべき」という思いが大変強く、その理想像に子ども達を強要しすぎていました。
ある時、自然活動のグループを決めた時に、「このグループ嫌だな」と発言した子がいて、強い指導をしました。これが結果的に大失敗でした。
教師なら、まずは子どもに聞かなきゃいけません。どうして嫌だと思ったの?と。それなのに、「高学年にもなって嫌だなんて言っているのはおかしい」という思い込みがあり、不幸な指摘をする結果になってしまいました。
絶対やっちゃいけない対応だったね…
誰とでも関われるほどその子は成長していませんでした。その実態を見ないままに理想を押し付けた結果、担任に対する不信感が募ってしまった。大失敗です。
3つの要因を見てきましたが、今思えば大失敗のオンパレードです。でも、当時は現場をがむしゃらに駆け抜けていたので悲しいことに気付けませんでした。
③授業の実態が子どもの実態に合っていなかった
学力面で手がかかる児童が学級の1/4程度と比較的多く、作業スピードもばらつきが大きい学級でした。
その中で、ノートに書く文字の量が多く、実態に合っていませんでした。結局、がんばってノートを取る子、諦めて喋りだす子、という風になってしまいました。
子どもとの信頼関係を作る具体的な方策
ここからは具体的にどう改善してきたかをまとめていきます。
振り返ってみて、信頼関係の構築のために必要だったことをまとめました。リンクで跳べますので気になる所をご覧ください。
①見栄を捨てる
異動の難しさはどこにあるのかと振り返ると、結局は自分にあったように思います。
誰も僕を知らない状況の中でどう自分を見せると良いのか、そういう変な考え方が頭の中にあって、難しい状況を自分自身が作り出してしまった。今ふりかえれば愚かでした。ありのまま、もともと自分が大切にしていたことをしていれば1学期を楽しく過ごせていただろうに。
くよくよしても、過ぎた時間は戻ってこないよ!
子ども達には悪いことをしたと反省しています。でも、戻ることはできないので、これから過ごす彼らとの時間を濃密で豊かな時間にしていきたいと思います。
②授業をワークシート型式にし、流れを明確にし書く量を軽減する
授業中の発言も少なく上手くいっていなかったので、同僚の先輩に道徳の授業をどのように展開しているか聞きました。
道徳の授業に限らず、すべての授業で上手くいっていない感じだったので、藁にもすがる思いだったのかも知れません。そこで、先輩がワークシートを見せてくれました。
先輩のワークシートには、子どもに考えさせたい事が設問としてあらかじめ用意されていました。要点が絞れていて文字を書く量も少ないです。
そこで気付きを得ました。「あ、こういう風に授業の枠組みを規定してやれば良いんだ。」って。腑に落ちた感じです。行き先がはっきりしていない旅は不安が付きまといます。授業も同じで考えさせたい内容がはっきりしていないと、子ども達に考えてもらいたいことがはっきりしません。
でも、悪いけど、そんなの当然のことじゃない?
もちろん、中堅になる僕には、そんなことは分かっていました。
しかし、授業中の具体として表れていなかったのです。だから、子ども達も口頭で指示されても何を考えれば良いかよく伝わらない、授業者の僕も困る。
「つまらない授業」の典型的な姿を作ってしまっていたのだと思います。
後から気付いたのですが、これまでの僕は、教えたい事が明確でなく、「子どもの主体性を大事にする」なんて耳障りの良いことを言葉にしながら、中途半端な授業を繰り返していたんです。
③単純接触の原理を生かして「話しまくる」
もともと僕は、喋ることが好きです。
子ども達の前に立ち、子どもを巻き込みながら展開していく笑いある授業スタイルを得意としていました。それが、異動を機に、高学年を持ったことから「5年生はこうあるべき」という固まった思考に引きずられていたことに気付かされました。
去年、笑顔で教壇に立っていた僕が鬼軍曹みたいな表情で突っ立っていました。これでは子ども達が近寄って着ませんし、授業中の発言もなくなるばかりです。
そこで、授業中も普段もとにかく話しまくることにしました。自己開示をしまくります。
児童理解の王道?「話す、話す、話す」とにかく上機嫌に話す。
まず、自分が変わらないとダメだと感じた僕は、子ども達の前で積極的に話すようにしました。
少し陽気な感じで、ちょっとぐらい教室が騒がしくなったとしても気にせず、トークを楽しみました。合わせて、軽く注意はするけど強く叱ることはしないようにしました。
すると、変化が如実に感じられるようになりました。
まず話しかけてくる子ども達が増えました。朝の会の前にも、子ども達が教卓に近付いてくるようになりました。僕の心の凍った部分が氷解していくような感覚でした。
もともと僕の教師としてのモットーは「学校は面白い所だと感じさせる。その為には、上機嫌な大人が身近にいることが大切」だったのですが、忙殺され消えていたようです。
そういえば僕の在り方はこうだったな…。と思い出しました。
失ったものを一つ一つ回収していくイメージでした。
④返報性の法則を利用して「先に信頼する」
当時、荒れた学級では問題行動が多発することになりました。
児童のズックが隠されたり、担任への悪意あるメッセージが届いたりです。生徒指導の会議が開かれるたび僕の心は擦り減りました。
同時に「子ども達への疑いの目」は鋭くなりました。信じたい思いはあるのに「あの子がやっているかもしれない」と、どうしても思ってしまうのです。
自分は何とか疑わないように、みんな潔白だと思い込もうとしても、同僚から「あの子が変な態度だったよ」などと言われると疑心暗鬼は募ります。
これではだめだと思った僕は、覚悟を決めました。
その覚悟は「先に信頼すること」です。信頼されたかどうかは子ども達は分かりません。ですから、「目」と「声かけ」を意識しました。疑うと目は鋭くなりがちです。佇まいに気を付けて、朗らかな感じでいるようにしました。
人間は基本的に、疑っている人や嫌な感情を抱いている人には声をかけませんよね。逆を取って、関係が微妙な子にも、他と同じぐらい意識的に声をかけるようにしました。これによって、少しずつ子の表情が変わっていきました。信頼して欲しかったらまずは信頼する。信頼のために具体的に「目」と「声」を意識する。これは非常に効果的でした。
⑤点数を取らせて自己肯定感を上げる
学校生活の満足度を構成する要素はたくさんありますが、手っ取り早いのがテストの点数を上げることです。テストで点を取れれば、先生の指導力に定評がつきます。あの先生が教えてくれれば大丈夫だと、安心感をもってもらえますよね。
どこかで満足度を持っている児童は、きつい言動や行動を起こす確率が減ります。そういった意味でも、テストで点数を取らせることは、比較的容易で、かつ効果的な対策になりえます。
悩みは声に出す。解決せずとも声に出し続ける。
ここまで、僕の体験を赤裸々に書かせていただきました。
同じように苦しんでいる方がいれば、とにかく辛さをまずは声に出してみましょう。
僕は同僚に相談した所から好転しました。その好転のきっかけが、どこにあるかは残念ながら誰にも分かりません。その機会がすぐ来るか、はたまた1か月後に来るかも分かりません。
しかし、最もいけないことは、抱え込んでストレスに心身を蝕まれることです。
僕も蝕まれていた人間だからよく分かります。
家族でも、仕事の悩みの根幹は解決できません。自分で何とかするしかないのが辛い所ですが、いつかあなたの目に光明が見えることを願っています。
吐き出し続ければ、きっと事態は好転します。抱えればその逆の結果になるはずです。
とにかく悩みは吐き出してくださいね!
それではまた。
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