忙殺される教師が自分の人生を取り戻す~「やらねばならぬ」から、貴方の為に「やりたい」への方針転換

当ページのリンクには広告が含まれています。

いつからだろう、自分の人生を取り戻したいと考えるようになったのは。

まつお

不穏な感じで始めてしまいましたが、こんにちは。当ブログの原稿を書いています。まつおです。

約10年、小学校教諭として働いています。僕は2023年の現在も現役ですが、数年後には小学校教諭を退職して教育事業を展開しようと考えている30歳です。

冒頭述べたように、大好きだった小学校教諭の仕事に忙殺され、自分の人生を生きたい。もっとゆとりのある丁寧な日々を送りたいと願うようになりました。しかし、私の両親も常々口にしていたいように

収入がないと暮らしていけない。

その現実があり、2018年に投資を始めました。

資産を増やして、毎月に得られるお金を増やしたかったからです。その思いはどんどん膨らみ、毎月の生活費を資産収入で賄えれば、自分が望む生活を達成できると考え経済的自立を目指すようになりました。

資産収入で確かに辞められるけど、その先に何を望むの?

この問いの答えは先に延ばすとして、教員として情報を発信してきた影響で、現在は五千人を超える方からフォローしていただきお世話になっております。

この記事では、私が今に至るまでどのような道を経てきたのか言葉に残させていただきたいと思います。

目次

夢見て辿り着いた小学校教諭の仕事でした

まずは、現在就いている小学校教諭の仕事から語ります。安定していて社会的な地位も保障されている教師の仕事を辞めようと考えていることに疑問を持つ人も居ると思います。

そう思うようになったきっかけを話します。少し長くなりますがお付き合いください。

誰もが通る道ですが一年目はきつかった

朝は6時に学校に到着し、夜は20時まで働いていました。実に14時間労働、それも実質の休憩時間は無し。それでも自らの至らなさが襲ってきて上手くいかない授業や学級に絶望し、ベッドから立ち上がれなくなる日も確かにありました。

特に火曜日が辛かったですね。こんなに月・火と疲弊したのにまだ3日もあるんか…と絶望していたのを思い出します。

そんな毎日でしたがそれでも心は保たれていました。だって、当時の僕にとって苦しかった教員採用試験を乗り越えた先につかみ取った未来が教職だったからです。

最高の学年主任に恵まれた

この影響も大きかったです。

母親のような偉大な学年主任に恵まれ、手取り足取り教えてもらいました。僕の現在の「若手に教えてあげたい、救ってあげたい」という気持ちは学年主任から受けた恩を次の世代へとパスしたい気持ちが根底にあるのだと思います。

それに、何といってもまだ22歳です。体が元気だから頑張れました。当然、その頃の僕には我が子もいませんでしたから。頑張ることにこそ価値がありました。

しかし、二年目を終えたころから体に異変が生じてきます。

入院・保護者対応・同僚対応と、消耗する日々

長時間労働の末に「突発性難聴」で緊急入院

14時間労働、そんな働き方を続けてきた僕は入院を2回します。どちらも突然やってきました。初任から2年経過し、何とか3年生・4年生と持ち上げて役目を終えた年度末でした。

突発性難聴

朝起きたら、まるで海の中で生活しているかのような左耳の違和感。水中で陸の上の音を聞いている、そんな感覚でした。これはおかしいと感じた僕は、翌日に耳鼻科を受診しました。大きな総合病院への紹介状を受け取り緊急入院、結果は「急性低音型突発性難聴」でした。

腕に点滴の管が繋がれた僕は「あ~…やっと休める」とどこか思っていました。

その時ですかね。こんな働き方は何かがおかしいと感じるようになったのは。突発性難聴の原因は解明されておらず、睡眠不足、ストレス、体の慢性的な疲れなどが原因になり得ると説明を受けました。

僕はそこまで疲れている気がしていなかったのですが、振り返れば朝6時から夜8時まで毎日14時間働き、その上で土日も職員室にいるような生活を2年間続けていたわけです。実は無理をしていたんだなと、その時初めて実感しました。

両親が入院先に駆け付けてくれたのですが、何だかそうなってしまった状況が切なくて切なくて。

健康的に暮らしていく必要性を強く感じました。

そのためには、長時間労働を是正しなくちゃならないと強く思いました。この頃、働き方改革が熱烈に叫ばれるようになり給特法といった、教員をめぐる「労働環境の悪さ」が気になり調べ、僕自身も知識をつけていきました。

「長く働いて奉公すること=幸せではない」

ここで僕は一つの教訓を得ました。

家と家のデリケートな問題に学校が巻き込まれ強烈な叱責と謝罪の数日間

その後、保護者対応で苦労した時も僕は一つの教訓を得ました。

学級の子どもの家と家の対立が勃発し、学校側の落ち度はほぼないのに難癖をつけられ、家を訪問し謝罪にでかけることになりました。この理不尽さを感じた時、何だかこれまで一生懸命、凛として教師を頑張って来た心が折れました。

あ~自分は、何をやっているんだろう。なりたかった仕事に就いているのに、馬鹿みたいに頭下げて…

これで保護者対応の経験を積んだぜみたいな、ポジティブな気持ちは全くなかったです。たまたま学級に居た大変な家の世話をしなきゃいけない、そうか、これが担任って仕事なんだと感じました。

ここで僕は教員の過酷さの原因を知ります。それは

教師は「価値提供をする相手を選べない」

という周知の事実を明確に心に刻み込まれました。

モンスター研究主任が一人いるだけで職員室の空気が一気に不幸に

その後の異動で同僚に苦しみます。

何度かブログでも話題にしていますが、当時の研究主任は強烈な個性をもった方でした。教育(授業)に対する熱い思いを持っているのですが、他者に対する言葉がきつく、大変威圧的でした。

若いのに研究授業をしないなんて教師失格だ。

俺の授業は凄い。君の授業はそんなんで良いの?もっと学べよ。

だから、ここの先生方はダメなんだよ。もっと考えろよ。

特に若手には「~をしろ。」という感じで、何度も研究授業をさせられ、常に顔色を窺っていました。

管理職以上にキツイ存在として君臨していて、当時居合わせた教職員はこう言いました。

どの学校でもたった一人で数十人の同僚を不幸にしてきた歴戦の猛者

地域に浸透している強烈なモンスターティーチャーだったのです。不幸な事に、確かに授業力があるので多くの教員は彼をないがしろにできず苦しい状況は数年続きました。

彼が異動していった職員室は戦禍から解放された場所のようでありました。

ここでも僕は一つの重要な教訓を得ました。

雇われの身である教師は「共に働く相手を選べない」

たった一人が組織を壊したとしてもどうすることもできません。

ここまで辛い事を挙げてきましたが何もそれだけではありませんでした。

卒業式では、男の僕が同僚よりも先頭を切って冒頭部分で号泣していました。担任の仕事は、子どもとの関わりが本当に楽しく、毎日が学びに富んでいて僕は大好きです。教壇に立つのは本当に遣り甲斐がある仕事です。

そう、僕は退職を決意していますが、学級崩壊をしている時でも心は折れませんでした。もっと違う理由で退職を決意していたのです。

自分の失敗による学級崩壊は辞める動機にはならなかった

過去に述べていますが、学級崩壊を経験しています。堅い学級でしたが原因は自分にあったと今では振り返ります。どん底にいても、子どもが原因であれば私達の心はぐっと耐えられます。そこで闘うんだと腹を決めて採用試験をくぐりぬけてきたのですから。

もし興味があれば過去記事を見てください。若手教師にとって学びの多い失敗体験だと自負しております(笑)

しかし、退職を決意するには十分な心がこの頃には出来上がっていました。それは…

たった一人のモンスター(保護者・同僚)に苦しめられる経験は、自分の人生にはもう要らない

その頃、日本のFIREブーム(経済的自立と早期退職)の黎明期だったこともあり、早く毎月お金をもたらしてくれる資産を作って、今度モンスターが表れた時に速攻で逃げられる準備をしておこうと資産形成を開始しました。

投資を始めたのがコロナ1年前ぐらいからで、政府の財政出動による株高の恩恵をたんまり受け順調に資産を増やしてきました。(これは単純にめっちゃラッキーだった)

勝手に人生のメンターと思っているちと氏との出会い

そんな中、僕はある方のX(旧twitter)の投稿に目を奪われていました。twitterで米国株仲間として繋がっていた方です。興味深い教育の事業をしていることが気になって追いかけていました。

僕が引かれたポストを何個か引用しますね。

https://twitter.com/FIRE74990870/status/1590444238055297024
https://twitter.com/FIRE74990870/status/1577781551773147136
https://twitter.com/FIRE74990870/status/1573243756908023811
https://twitter.com/FIRE74990870/status/1513837363348541441

ガチャ運が悪くなることを恐れるのであればガチャを引く立場ではなく、選ぶ立場に回れば良いと教えてもらいました。

ただ、その方法が分からず、直接教えてくれとDMしても「まだ公開していないんです」ということで、一度は断られました。ちと氏が限定公開してくれた時に勇み足で応募。飛行機で移動し二日の時間を投下して現地で実際に子ども達とのやり取りを学ばせてもらいました。

僕が夢見ていた世界線は机上の空論ではなく実現可能な未来としてここにはあるんや

強烈にそんな思いをもちました。それを機に、ちと氏と同じような未来を歩みたくて、妻にも相談し自分のビジネスを創る準備をずっと行ってきました。

悩む保護者を助けたい気持ちが増してきた

その後、小学校教諭として勤務する中で担任と上手くいかず苦しむ保護者や、不登校の子をもって苦しんでいる保護者、いろんな保護者がいることを痛感します。

自分が手助けしたい人を手助けしたい

学校と家庭の間で「理不尽さを感じながらも前を向こうとする」その人たちにこそ自分は手を差し出したい。ちと氏の契約という形で、自分のすべきことに対価を払ってもらいながらこちらはお金以上の価値提供をしたい。

きっと、それができるのは自分の財産を作り安定した土台ができてからだ、早くて15年後、45歳になる頃かな…。そのように思っていました。ちと氏の具体を見たことで考えが変わり妻と早く教育事務所を創ろうと思うようになりました。

そして残り数年で、その未来は形になってくれそうです。

改めましてブログ原稿を執筆しているまつおです

そんな僕が原稿を執筆しているブログですので、学校のこと、教師の仕事、FIREに向けた資産形成、保護者視点でのこと、などを記載しています!

国力が下がり随所で人手不足、そんな斜陽を感じる時代に豊かに生きる事を目標に共に頑張っていきませんか。

正しさよりも優しさで共に繋がれる人は、是非twitterやブログのコメント欄で交流してくれると嬉しいです。よろしくお願いします。最後までご視聴いただいてありがとうございました。

教員投資家matsuoが届けるお得なお知らせ

最後に教員投資家の僕が実際に使ってお勧めできる案件を紹介します。

やまこ

私は投資まったく知らないけど増やしてくれてありがとう!

投資を始めて家計が驚くほど好転したので普及します。ある程度資産が大きくなると、お金がお金を運んでくれるフェーズが訪れますのでそこまでひた走りましょう。(大体800万ぐらいからかな)資産状況をまとめたtweetが分かりやすいと思うのUPしますね。

モッピー経由の証券口座開設で生活費を浮かせて投資へ

投資に回すには種銭が必要なので、固定費を減らしたり副業やポイントサイトで稼いだりする必要があります。もしまだ証券口座を持っていなければチャンスです。証券口座の開設はポイントサイト経由ですると結構ポイント貰えますので。

下のtweetが参考になるかしら?

これで数千円ゲット。僕が行った2022年8月は合計7000円貰えました。ちなみに、紹介する僕は300Pもらえるだけですが、下から登録するだけで紹介される皆さんは2000Pもらえます。羨ましいです(笑)

紹介コードは「Fe5MA1fb」です。ご利用下さい。

\資産管理は以下のアプリをダウンロード/

家計簿マネーフォワード ME - 人気の家計簿(かけいぼ)

家計簿マネーフォワード ME – 人気の家計簿(かけいぼ)

Money Forward, Inc.無料posted withアプリーチ

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

家計管理と資産運用に取り組む現役の小学校教師。将来はサイドFIREを目指して資産作りに努めている。2021年に第一子誕生し、父親となる。教師の幸せな働き方を追求すると共に、教職からの脱出を試みている。

コメント

コメントする

目次