5年生の担任をしていた時の苦い経験談を話します。
心底あの頃は辛かったよね・・・
成功体験は語られやすいですが、失敗体験はなかなか共有されません。失敗した理由を書くことで誰かの参考になればと思います。長くなるので全4回に分けて記事を書いていきます。


これは参考になりそうだ!
荒れた学級で起こっていた出来事


あれは10月ぐらいからだったか、子どもへの誹謗中傷が書かれたメモ紙が連日見つかりました。
担任にしたらショックですよね。クラスメイトへの誹謗中傷、担任への嫌いの文字、トイレットペーパーを落とす、大便器に入れ込むような事件の日々…。教室に行けば何かトラブルが発生するイメージです。
担任なら犯人の目星がつきそうなものですが、実際は分かりませんでした。そのため、どの児童にも疑いの目を向けてしまう辛さがありました。振り返ってみても、あの頃の僕の精神状況は最悪でした。頑張っていると思っていたあの子が…もしかしたらあの子が…という疑いが拭いきれないのです。
どんな出来事が起こっていたか、もう少しまとめていきます。
学級の児童への誹謗中傷が出てくる


ある時、悪口が書かれたメモが出てきました。名前とセットで「きもい」や「死ね」という言葉が書かれていました。
これが出た時は、書かれた児童に知れ渡ると傷ついてしまう…まずいなと思いました。偶然にも担任が見つけ、管理職に報告。様子を見ることになります。ところが、悪口を書いている子は「大人にバレても大丈夫」と思ったのでしょうか。一度きりでは終わらず繰り返されるようになりました。
情報を隠していてはいけないと考え、名前を書かれている児童の保護者にも連絡し、現状を報告、本人に伝えるかどうか確認をしました。「子のことを思うと伝えないで欲しい。何とか収まるように取り計らって欲しい」とのことでした。保護者の思いを受け、何としてもこの事態を打破しなくてはならない、それが私の責務だと感じました。
しかし、現実は甘くありません。
担任への誹謗中傷も書き込まれていく


続いて担任の僕への誹謗中傷も出てきました。子への誹謗中傷と同じく「きらい」という言葉や「うざい」という言葉が出てきました。教室の空気に荒れる時によくある「硬さ」を感じていたので、そうだよな。やっぱり出てくるよなという感じでした。実はそれでも、子どもに誹謗中傷が行くぐらいなら、ガンガンこっちに来いという気持ちで僕は見ていました。凹みますけどね。
落ち込む気持ちも当然人間なのでありましたが、それよりも被害児童から離れて欲しい気持ちが強かったのです。なんでこんなことをするのか、その理由が少しずつ見えてきます。
孤独感を感じている加害者の子ども


改善しないまま2か月ほど続きました。なぜこのようなことをするのか考え続けていました。寂しいのか、いらだちなのか、苦しいのか…。この頃になると、悪口を書いている側の心境も変化してきたようです。
メモの切れ端に変化があったのです。
「誰も分かってくれない」
「ぼっち」「浮いてる」
という言葉が見つかりました。攻撃性ばかり気にしていましたが、実は違ったのかも知れません。自分の存在を担任である僕や、名前を書かれた児童らに、もっと強く感じて欲しかったのかと思いました。どうしようもない衝動を子は感じていたのでしょう。
担任である僕は、被害者には勿論、加害者にも申し訳なく思う気持ちが出てきました。
疲弊する職員構造、管理職とのギスギス摩擦


生徒指導は、組織対応です。みんなで同じ方向を向いて対応するのが何より大事だと考えています。この生徒指導案件では、僕の中で「管理職への不満」が極限まで高まりました。対応をめぐる考え方の違いがありすぎたのです。
僕は主張していました。生徒指導主任も同様のスタンスでした。しかし、管理職、特に校長は違いました。
実際に校長が動くわけではないので、教頭が汲み取って強い指導をいれる。
「担任がその気持ちになれないなら教頭が指導する」という話を面と向かってされました。
「…。」
良いような悪いような、納得感がないままに終わる生徒指導会議。もちろん、「叱る気持ちになれない」のではありません。心の中では「それをやらない方が良いという判断なんですけど…」と思いながらストレスは積もる一方でした。
そんな時です。
担任のストレスを極限まで高めた管理職の行動
また良くない出来事が起こったんですね。それを第一発見した管理職達が、担任に事前予告なく学級に入って大声で指導しました。この時点で担任の僕のストレスはマックスになりました。
「何で授業中に入ってくる?」「一言も断りなしにやることか?」
と同時に「この管理職じゃダメだ」という期待消失の気持ちも入っていました。僕は教室の中で眉間に手を当てながら、目をつぶりました。この管理職のために、頑張るのは辞めにしよう。こんな気持ちでした。頭の中では、とても文章にはできないどす黒い言葉を思い浮かべていました。
強い指導の甲斐もなく…


そして、強い指導のお陰でトラブルは消えて…となるわけがありません。僕の予想通りです。強い指導の翌日、また同じ出来事が起きたんです。性格の悪い僕は、何と思ったか想像がつきますか?
だから、僕は冷静モードで、管理職に「またやられました」って報告したんです。すると管理職は、何でもっと重大に物事を捉えないのかという態度で僕に接してきました。僕は本来攻撃的な人間で、自分の中の「黙っていられない部分」が出てきてしまいました。
「こうなるから、強い指導なんて要らないって言いましたし、会議でも合意取りましたよね。その合意とは違う指導をしているんですから、管理職の対応に一歩どころか、かなり引いているのが分かりませんか?」
いや、やばいですね。振り返って文字にすると申し訳ない気持ちでいっぱいですが、当時の僕に余裕は0でした。いかなる状況でも冷静に対応するのがプロです。僕はプロになり切れないアマチュア教師だったのです。そして、その後に衝撃の発言が教頭から出ます。
管理職から衝撃の一言が出る


しかし、この後、教頭の口から予想外の言葉が出てくるんです。それは・・・


えええええええ
良いか分からないけど、校長から言われるままにやっているという趣旨です。あ、ダメだこりゃ…って、何かが崩れ落ちた瞬間でした。何だか真面目にこんなことやっているのがバカらしくなって、真面目にこの出来事を考えるのを辞めました。
これまで管理職側のスタンスに寄せて行っていた指導や、振る舞いを変化させることにしました。より子ども達の心が解れる様にふるまって、穏やかに学級の空気を作るように注力しました。それでも、一度硬くなった教室の空気が直るのは簡単ではありません。その後も、トラブルがあったりなかったりで、不安定な5年生でした。
実際は、悪い空気が改善する兆しもなく、5年生が終わる最期の日までそんな日々が続きました。管理職と心の底から歩み寄るのは難しいと判断し、判断を任せることにしました。僕は言われたことをするに徹する。
当時の僕は、無能だと思われても良い、やる気を無くすトリガーを引いたのはそちらだという風に考えていました。そんな最低最悪の担任生活を過ごした僕です。
いかがだったでしょうか。
第1回はリアルな学級の様子や管理職とのやり取りを紹介しました。とても他人に誇れるような出来事ではないし、傷だらけの過去記録ですが、学級経営を考える際の参考になればと思って記事にしています。
振り返ってみて辛かったな。あの頃が、僕の教師人生の中で一番闇に染まっていました。苦しかったです。
余談ですが、僕はその後、荒れた学級を持ちあがることになります。学級を離れることを希望したのですがね。実は1年後、180度教室が変わったように、天国な学級経営をしています。ここまで教室は変わるのかと思うぐらいです。人は変われるように、教室だって変われる。
その経験をしたから、僕は今この記事を書くエネルギーがあるのです。きっと辛かったままならこの記事は生まれていません。地獄と天国を経験した僕ですので、振り返って原因を解明していきたいと思います。
続きは「第2回:原因解明(なぜ教室は荒れたのか)」へ
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続きは「第2回:原因解明(なぜ教室は荒れたのか)」をご覧ください。見出しは次の画像の通りです。















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