「静かな退職」が話題になっている。
小学校現場で働く私も「働かないおじさん」問題には近い所で触れてきた。
管理職が働かないおじさんに悩む場面
働かないおじさんが信念を持って働かない背景、その両方を知っている。
今日は、終身雇用・年功序列が一般的な公務員・小学校教諭である著者が「静かな退職」を語りたい。
この動画をまずは見て欲しい。
リベラルアーツ大学の両学長が、年収2000万の働かない窓際族おじさんを「Windows2000」と呼ぶと紹介。
コロナによって「Windows2000 Home editionに変わった」と動画で語っていたのは腹をかかえて笑った。
社会的に「働かないおじさん」問題は認知されてきた。
社会的にはFIRE志望者も増え、何を隠そう私もFIREを目指している身である。
ミレニアル世代の著者は、教諭に真面目に取り組んでいるが、この静かな退職に悪を感じない。
学校現場で「静かな退職」は正直難しい
実は著者も「静かな退職」を達成したい人間の一人だ。
学校現場では、静かな退職は似合わない。
そう言い切る理由は「要求された仕事だけを行う」のが、酷な仕事だからだ。
- 社会的な責任は大きい
- 同僚も仕事をビルドするのが得意
- スクラップは物凄く苦手な体質
- 管理職世代は仕事に捧げた人
そもそも理解がない場合は「静かな退職」の働き方を認めはしないだろう。
だから、必要以上に
「お互いの授業を見合いましょう」
「時間前に来て準備しましょう」
など、時間や労力という資源が無限にあるかのような発言が後を絶たない。
静かな退職はできるが、容易くはない
一方、学校現場でも静かな退職は可能だという意見もある。
感情を殺し「徹底的に働かない人」に徹すれば可能だ。
割り振られた仕事も遂行しない、必要最低限に仕事する、定時で必ず帰る、部活は拒否する、親子行事なども参加しない…。
自分の人生を守るにはこの気概が必要だ。
どうだろう。
教員であるならば、スタート地点では人と関わることに喜びを見出していたはずだ。
そんなお人好しが多い教師にとっては、「働かない」に徹することは容易くはないことが分かるはずだ。
「仕事で人生を評価される」なんて最悪だ
若新さんは次のように言った。
「短時間労働に集約して賢く働こうではなく、もはや社会に働かせられてどれぐらい働けているかで評価される人生を辞めたい人が増えている」
この言葉に僕はハッとした。
勤務時間や、定時退勤など数字で判断できるところばかり考えて、本丸の部分を疎かにしていた感覚があったからだ。
「どれぐらい働けるかで評価される人生を辞めたい」
これだ。この言葉にぐっときた。
教員は常に比較される。
隣の学級の先生に比べて…、前の先生に比べて…。同僚からも比較される。
更には管理職になりたい訳でもないのに、出世コースを外れた中年には憐みの目を見せる節すらある。
本人が望んでいないにも関わらず、だ。
こういう承認欲求から、僕は心底抜け出したいと思っている。
もしこの考えに共感するならこの本の一読をオススメします。
きっと静かな退職は、Z世代やミレニアル世代が見出した一つの働き方であり、これはFIREに繋がるなだらかなグラデーションの一部なのではないかと思う。
正社員→静かな退職→早期退職→人生の再獲得
「期待される以上の成果は出さない」かはさておき、他人の定規で測られる人生なんて、それこそ糞くらえってもんだろう。
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