久し振りの更新になりました。
今日はタイトルの通り二本立てで話していきます。その前に、夏休み「世界に通用する子どもの育て方」を読み直しています。
なぜなら文科省から示された「ウェルビーイング」の考え方がこの本にズバリだから。次期学習指導要領にも繋がっていきそうなこのウェルビーイング。学び直しています。
オススメ具合はこのスクショが物語っていますな。
最高に好きな本なので、皆さんに是非おすすめ。
kindle unlimitedで無料で読めるっぽいので、お金かけたくない人はこちらでどうぞ。
ものすごく出費に伴う抵抗感が減少している
20代は節約ありきで、お金を使うことに対する罪悪感が強くありました。
ビールなどの個人的な支出なら殊更そうで、家族が関係する支出(例えば外食)でも、OKOK!と言いながら資産増加は遅くなるよなという思考がどこかありました。
ところが30代になり子も育ってきて、インフレも進み、投資にも慣れたせいか、支出に対する甘さが多くなりました。
財布の紐が緩んだのかと思ったのですが、支出している物は食料、外食、レジャー、と結局不必要な事には使っていない事に気付きました。
必要な所にお金を使う際の抵抗感が減ったのかもしれません。
資産額の増加につれ、数千円程度の支出は居たくも痒くもありません。
「それでは資産増大のスピードは落ちる」という指摘があるかもしれませんが、資産増大が人生の到達点ではありません。最終到達点は「現在と将来の幸福」です。
もしかしたら、我が身に降りかかってきている「人生を愉しむ為の出費に伴う抵抗感の減少」は忌み嫌うべきものではないのかもしれません。もう少しこの生活を続けて、自分の感覚を確かめていきたいと思います。
教師の「充足感」から見た、早期退職に対する考えの変化
さて、本日はもう一つの話題を。早期退職に対する気持ちが変化してきました。
SNSでは、早期退職を果たしたが「幸せ」とは少し離れてしまったという話題を最近よく耳にします。教員を辞めて収入は増えたが充実感は減ったという呟きでした。
働いていれば人間関係は必ず維持されますし、必然的に巡り合います。
自分から話し相手を見つける必要もなければ、何を共にすべきか連絡調整をする必要もありません。
教師を続けているだけでは、辞めた時に生きる「人的資本」は一切磨かれませんが、その時々を豊かに生きる「絆」は絢爛たるものがあります。この濃さ故に苦しむのもまた事実ですが、そういった「大変さ」も、逆に「喜び」も、私達一人一人に「今この時を生きている」という実感を強烈にもたらします。
早期退職による安定給与の喪失ばかりを気にしていましたが、最も大きいのはこの強烈なコミュニティや生きている実感の喪失なのではないかと最近は思うようになりました。
ある程度の資産が貯まってきたからこちらに思考がスライドしていっているのかもしれません。
そして、これには明確な代替策があります。それは生きているという実感が得られる職場を自らの手で作り出すという経営的な視点からの策です。ここまで、作ることができれば、もう「人生=仕事=社会的な繋がり」となり、楽しくて仕方なくなるのではないかと思います。
さて、私はどこに向かうのでしょう。夏休み、まずは皆さんゆっくり休みましょうね^^
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