こんにちは、まつおです。
今年度の研究授業はもう終わりましたか?
教育委員会委託の研究会や、校内の研究会で授業者を務めている経験から考えていきます。私の結論では、義務的に実施する研究授業は不要という考えを持っています。
この記事では、研究授業の授業者を務めるメリットや、参観者のメリットなどを考えることを通して研究授業について考察していきます。20代若輩者の教師の戯言ですのでご了承下さい。
他の先生の授業を見て授業作りを学ぶことができる
大学を卒業後、小学校教諭になって驚いたことの一つに同僚の先生方の授業を見る時間が全く無いという事でした。
学年主任の先生が凄く良い方で、
いつでも見学においで!
そう言ってくれていたのですが、初任者だった私からすれば
自分の授業もちゃんとなっていないのに、見に行く余裕ないよ!先輩の授業から勉強はしたいけれど、分析する余裕もないし今は無理だ…
こんな風に、「いつでも」見においでと言われてもなかなか難しいなあと思っていました。
しかし、学校で研究授業の日程を取っているおかげで、初任者のように経験の浅い先生方も先輩の授業を簡単に見ることができます。
素晴らしい授業を見た後には
よっしゃ~!自分もあんな風に子ども達が生き生きと学べるようにがんばるぞ!
となりますし、逆にちょっとうーんと思う授業の展開だとすると
自分だったら、一人一人考えるのではなくグループで話し合いをさせていくよな。もっと子ども達が活動できる授業展開の方が面白く動くんだなあ
という風に学ぶことができます。
こういったところから考えると研究授業は、見る側からすればメリットがたくさんあると思います。だから研究授業はなくならないのだと思います。
単元構成をじっくり考える機会になる
全教科を毎回がっちり単元計画を立てるのは難しいですよね。
簡単には計画しますが、Wordでしっかり留意点や重点する点なんて考えませんよね。
じっくり単元計画を考えたことで、単元が終わるまでに子ども達が何を学んでいて、何ができるようになっているかを熟考することができたなあ!研究授業でもないとできないことだよね。
指導事項をはっきりさせること、子どもの学びの過程を考えて授業作りができることは研究授業で授業者を引き受けるメリットですね
学級開きからの子ども達の育ちを確認できる
研究授業の指導案を書く時に子ども達のことを思い浮かべますよね。
学級の子ども達は4月からどのように育ってきていて、どんな授業創りをしていくことで更にレベルアップしていけるかを考える機会になりますね。忙しい中ですので、私は研究授業や行事の前後などしか子ども達の育ちは意識することができません。
子ども達の育ちの現時点を確認できる点でも授業者にとってプラスかもしれません。
改まった機会でなくても子どもの育ちを普段から考えている人ってすごい!
さて、次からは私が考える研究授業のデメリットを書きます。
一時間だけ見て話し合う研究会に疑問を感じる
前述しているように単元で計画を練っていきますよね。その単元でどういう力が身に付けていくかを必死で考えて授業者は授業の提案をします。
しかし、研究授業話し合われるほとんどが「本時」だけです。単元を通してつけたい力と直結するような授業を本時でできるとも限りません。するとこんな思いになります。
話し合って欲しいのはそこじゃないねん…
単元構成や子どものことを理解して、授業を見てもらえるなら授業者にとって魅力的なものになります。
そのためには、事前研究を参観者からも出席してもらう必要があります。ただでさえ多忙を極める学校現場でそれは無理なので、せいぜい大きな研究会の前ぐらいになります。
そうすると、どういう気持ちで担任が単元や授業を構想しているかをよく分からないまま、ベテランの先生方は今までの経験で物事を語る机上の空論のような事後研究会が開催されてしまいます。
普段とは違う緊張感の中で授業を行うデメリット
普段とあまりにも違う緊張感の中で授業を行う事になります。発達支援を要するような児童は敏感に気付き一日中そわそわすることになります。経験上、こういう時にトラブルが起こっています。
担任のちょっとした変化に子ども達って本当気付きますよね。さりげない励ましをくれたりすることもあるけれど、荒れることも(笑)
指導案に拘束されて目の前の子どもの様子が見えなくなる
これは経験値によるのかもしれません。
私の場合、大抵いつもなのですが指導案をじっくり考えて作りこめば作りこむほど授業が失敗します。
何でだと思いますか?
それは指導案を作りこむ中で、この授業ではここまで理解してもらわなければという思いや、ここまでいかなきゃという思いが強くなってきてしまうことに原因があると思います。
例えば普段の授業であれば、グループで観察をしている時にもっと時間が欲しそうだったら上げることができますよね。しかし、いざ研究授業となると話は変わります。もっと先に進まなきゃという意識が働いて教師主導の授業を展開してしまいがちです。
やべぇやべぇ!残り時間15分だ、はい次の意見どうぞ!!(指導案通りやろうとしている光景…)
私はいつもこんな感じです。だからこそ、研究授業でやる授業は自分の一番嫌いな授業の姿になっているのです(笑)そして自己嫌悪というスパイラル。私にとって授業研は負のスパイラルを生み出すのです。
研究授業はたいてい失敗するという話
研究授業は緊張するため大抵うまくいきません。ここでピンポイントで最高の授業を展開するのは熟達の域に入っている教員だけだと思います。
管理職でさえもこんな話をしてくれました。
俺も成功した研究授業って1,2回しかないんだよな。管理職になる少し前には「まぁこんなもんか」ってレベルまではなったけど、ほとんどがダメだった。悪い所は自分で分かっているんで何も言わないでくださいみたいな感じだったな。そんなもんなんだよ、授業研なんて(笑)
ここで私に二つの思いが生まれました。
大抵失敗するんだから、あえて悪い姿を見せる必要なんてないでしょ?ここはできるだけ目立たないようにして授業者にならないようにしよう。できるだけ研究授業の授業者なんてやりたくないよな。
というネガティブとしか言い表せない何とも残念な後ろ向きの気持ち(笑)
大抵失敗するんだから、どうせ失敗したっていいんでしょ?やっちゃえば、失敗したってやらなかった人より頑張ってるって自分を褒められるよ?力を入れた単元が増えていくから、成長に繋がるのは間違いないよ。
というポジティブに見えて自らの首を締めそうになる気持ち。
授業者にプラスなのは自由研究、参観者にプラスなのは強制研究
学校で行われる研究授業は誰のためなのでしょうか?
授業者の先生のためでもあり、参観される先生のためでもあります。
もし、授業者のための研究授業をするなら、強制的な授業研究ではなく、仲間内で誘い合って見合うような研究が良いです。
子どもと一緒で、主体的に学んでいければ最高の授業研究ができるね
私も何回かやりましたが気楽そのもの。やらされているわけでもないので、どこが良かった悪かったと話し合って、語り終わったらすぐおしまいにできます。無駄に長く続くこともありません。簡単に次の仕事に移れるのも良さです。
もし、参観される先生のための授業研究をするなら今の体制のままでしょう。
強制的に枠組みを作って授業について語ってもらう従来通りの形。やっぱりメリットはありますからね、どういう指導をしているか見れるのは凄く貴重な体験ですから。
授業者のメリットは少なく感じるけれど、学校文化から消し去ることはできないんだろうなあ。
今回は研究授業をたくさん考えてみました。それではまた( ̄^ ̄)ゞ
コメント
コメント一覧 (2件)
校内研究会はただの行事です。
校内研究会の目指すものが上が目指す授業の実践なので、多くの場合 普段の授業と違う形になります。人によってはその1時間にものすごい時間をかけて 特別な授業をおこないます。
日常の授業の向上にまったく全く役にたちません。学校でもっとも無駄と考えます。
何十年も 各学校で研究 研究とやっていますが 学力は下がる一方です。現にその教科の研究校が学力が高いんですか。
もっとシンプルに どうしたらよく理解できるかという点で研修すれば授業向上に役立つし、
負担が減りやる気もでます。
僕も本当に役に立ったって実感がある研究授業はないです…。研究のやってきたことで同僚と話をして、授業が上手になっていったことはありますが、研究授業の一時間に価値があったかと言われる無かったなと振り返ります。やはり、普段の授業をゆとりもって作り込める方がずっと良いです。