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教員投資家の「管理職を目指さない」がもたらす弊害

小学校教諭

こんにちは、まつお(@matsuo_edu)です。

アメリカではFIRE運動が大きなムーブメントになっています。FIREは簡単に言うと、経済的な自立です。給与を得るために働かなくても配当や家賃収入等で暮らせるようにしていく活動です。

心の友
心の友
FIREは「financial independence Retire Early」の略で、経済的自立して早期退職しようぜという意味合いの言葉ですね.
 
まつお先生
まつお先生

僕も究極的にはFIREを目指しています。今日は教員をしていてtwitterを中心に聴く事が増えてきた「管理職を目指さない」という生き方について考察していきます。

この記事を書いている人(@matsuo_edu)
  • 27歳、現職の公立学校教員投資家(主に株式投資)
  • 嫁運営の家族経営方式でブログ経営中
  • 配当金は年間7万円程度でまだまだ駆け出し投資家
  • 担任6年目で学校教育の在り方に疑問を持っている

男性教諭は全員が管理職を目指すという誤解

Stairs, Staircase, Stairway, Steps, Career, Way
学校現場は指導主事や教頭、校長になるしか栄転の道はありません。

職員室で、おばちゃん先生方からよく冗談で言われます。

「校長になったらあんなこと言っちゃだめだぞ」という風に。そういう先生方は大体若手の男性教員を見ると、将来は校長を目指していくんだろうという感覚があるのだと思います。

twitterでこそ「教員投資家」なんて名乗っていますが、現実ではただの教員です。普通の教員ですので、大卒→教諭→教務主任→教頭→校長という既定路線で生きていくことが青写真として皆の脳裏にあるのでしょう。

まつお先生
まつお先生

実際の所、教員で栄転していくのはその在り方しかないですもんね^^

勿論FIREを目指している僕にその既定路線はまるで当てはまりませんがね^^

教諭から入って、校長で終わる。

これが教育界で言わずもがなで共有されている生き方なのだと感じています。

管理職を目指さない生き方では、組織のピラミッドから逸れる

Pyramid of Khafre

そんな学校現場の中で管理職を目指さないという選択をすることは異端です。

学校組織のピラミッドから逸れると書きましたが、それはもっと年齢を重ねてからの話です。基本的に若手は仕事を振られますし、それをこなすことが求められますから。従わざるを得ない部分がベテランに比べて大きいです。だから、その先生が望むか望まないかは別として学校の組織ピラミッドには組み込まれるんです。

問題はある程度年を重ねてからです。異端としてはみ出た教員は「やる気のない教員」「能力がない教員」という印象を抱かれるかも知れません。

もしかすると、管理職を目指さない姿勢が、内側でなく外部に出てしまうと本人の気持ちとは反して「どうせ、あの人は仕事に本気じゃないから」という印象を抱かれる可能性があります。仕事をしずらくなる、居場所がなくなるという可能性が高まります。

不労収入が積み重なると仕事にしがみつかなくて良い

One dollar banknotes placed on table

管理職を目指さない理由はそれぞれだと思います。

僕の場合は「不労収入を作ることで人間的な生活ができるから」です。

管理職の座から担任に下りる方も出てきている

管理職は忙殺職です。そんな環境に僕は自分の身を置きたくないのです…。給与取得が増えようが絶対に嫌だと信念を持っています(笑)

担任の業務が好きだとか、職員の人間関係が嫌だとか、そういう話ではなく単純に個人の時間が失われることが嫌なのです。ワークライフバランスの「ワーク」に「100%労力注入」みたいな生き方は勘弁なのです。管理職の働き方が嫌な人は、目指さないで担任をがんばるで良いと思います。

心の友
心の友

最近では現実として管理職から担任に降りる先生も出てきています。国家的な問題になるのも近いのではと危惧しています。

給与以外で暮らせる教員投資家は職にしがみつかない

Climbing, Rock Climbing, Overhang, Rope, Protection
学校教諭という仕事に必死でしがみついているの図

問題は僕みたいな投資家です。

給与取得以外の収入(例えば不動産収入、株式投資での収入等)があると、自分の精神と肉体を酷使して滅私奉公することの是非を考えるようになります。だって、そこまでしなくても生きていくことができるようになるのだから当然ですよね。

そうすると、見える世界が良くも悪くも変わります。

給与労働をしなければ生きていけない人不労収入で暮らせる人の見る世界の色彩はきっと鮮やかさが違うでしょう。鮮やかな不労収入の世界から見る、時間単価度外視の教諭職を見た時に「教員の報われなさやばすぎ…」という意識が芽生えても不思議ではないと思います。


これが外面に出たら大変です。

同僚を馬鹿にしたり、管理職を腹の中であざ笑ったり、そういう考えが出てくるに違いありません。内面に抑えていたつもりがいつか外面に出てくる気がします。

それでも僕が教職からの離脱を目標とする理由

一つ誤解がないようにお話しなければならないのは、僕は教諭という仕事が大好きです。

ただ、僕はこの仕事の働き方、文科省から現場へ苦痛がリレーされ続けていくような体制が物凄く嫌いです。例えば、教材研究をして授業が良くなり子どもの理解が増したという喜びは教諭の一つの醍醐味です。これは可変領域を攻めたに過ぎないのです。

可変領域ですから、自ら変えられる領域です。

例えば、学級経営、子どもとの信頼関係、保護者対応などは自分の対応次第でいくらでも良好に、逆に最悪なものにもできます。また、主観教諭、教頭、校長と上がっていけば可変領域の範囲はどんどん広がります。

教師業を聖域だと考えるならその遣り甲斐だけでやっていける気もします。

ここで大きな一つの問題を見つけます。それは、教諭でも校長でも雇われているという主従関係から抜け出せないことです。僕はいつか、自分で事業をして労働市場からの脱却を夢見ています。

そういう性格の人間が故に、僕は教職からの脱却をもくろんでいるのかもしれません

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